TUGU PAHLAWAN

(英雄モニュメント)

2016年3月9日

これを抜きにスラバヤ観光は語れない!というのが、Tugu Pahlawan(英雄モニュメント)、そしてそこに併設されているMuseum Perjuangan 10 Nopember(11月10日博物館)です。

インドネシアは、世界第二次世界大戦後、それまでのオランダそして日本の統治時代を経て、1945年8月17日に独立宣言を行いました。8月17日は独立記念日として、現在でも盛大に祝われています。
しかしその後、独立を認めないオランダが再びインドネシアへ上陸。インドネシアとオランダ・イギリス間での4年5ヵ月にわたる独立戦争に突入します。

1945年11月10日は、独立宣言後にインドネシアとオランダ・イギリス間でくすぶっていた火種が、「スラバヤの戦い」と呼ばれる本格的な争いへと突入した日であり、そこでの必死の抗戦によりインドネシア全体で独立の機運を高めるきっかけとなった戦いでもあります。

インドネシアの人々にとって、独立は自らの手で勝ち取った誇るべきもの。
その独立を勝ち得た戦いでの英雄たちに敬意を表し建造されたのが、この英雄モニュメントと博物館なのです。

”Arek-arek Suroboyo(スラバヤの若者たち)”を讃えて

1951年、当時のスカルノ大統領時代にこの英雄モニュメントは建造されました。
東ジャワ州庁舎を向かいに見据えた入り口には、1945年の独立宣言を行うスカルノ大統領とハッタ副大統領の像があります。
その背後、緑の広がる広場の奥に、英雄モニュメントがひっそりと佇んでいます。

天に向かって真っすぐに伸びる白い塔の高さは45メートル、10の面を持っています。
1945年の"45"と、11月10日の"10"を表したもので、戦いで命を落とした英雄たちへの敬意と、彼らのことを忘れないという、この白い塔に込められたメッセージとなっています。

その塔の背後には、「名もなき英雄たちの墓」と記された像があります。
お墓とされていますが、ここに実際に埋葬されている訳ではありません。この像が示す通り、この地で多くの若者たちが独立を叫び、独立を悲願し、倒れていったのです。
"DI SINI KAU TIDUR KEABADIAN TAMPA BATAS SEBAGAI PAHLAWAN TAK DI KENAL
KARENA GUGUR SAAT BURJUANG TANPA PAMRIH MEMBELA BANGSA DAN NEGARA MENJADI SATU DALAM PUSARA TANPA NAMA"
「民族の誇りとインドネシア独立をかけ、名声を求めることもなく倒れていった。名もなき英雄として、ここに永遠の眠りを。」(
注:意訳)

”Merdeka ataoe Mati!”(独立か死か!)

モニュメント横に2000年に建設されたのが、この11月10日博物館です。
博物館に入ってまず目に飛び込んでくるのは、独立を叫びながら倒れていく人々の像。そしてその上に書かれている赤い文字。
  "Merdeka ataoe Mati!" 「独立か死か」

当時のインドネシアの人々の、独立への強く熱い想いが、衝撃と共に伝わってきます。

この”Merdeka ataoe Mati"は、英雄の一人として広く知られているBung Tomo氏の言葉です。
彼は独立戦争時の中心的存在であった軍人であり、独特の語り口調で多くのスラバヤの若者たちを指揮し先導した人物です。
当時ラジオを通じて伝えられていた彼のスピーチが、この博物館で再現されています。

 

更に、博物館の中には、当時使用された武器や旗、当時の様子を表した絵やパネル、英雄たちが残した言葉が展示されています。
武器が十分に揃えられない中、竹やりを手に戦いに臨んだ当時の様子も、竹やりの展示とともに見ることができます。

インドネシアの独立は、今のインドネシアに繋がる重大な歴史的転換点となったもの。
そしてその独立は、ここスラバヤの地に流された多くの血と、倒れていった多くの若者たちの想いの上に成り立っているのです。